また生きにくくなる世の中

 神戸でまた痛ましい事件が起きた。

 また神戸かよ、とも思う。17年前にも猟奇的な事件が発生した。
 近くでこうした事件が起こったら否が応でもまたあの時のような不安がよみがえる。同じように思った人もいたのではないだろうか。

 犯人は想像以上に早く逮捕された。しかし、まだ詳細は分からない。

 報道される内容からは容疑者はおかしいことが分かる。これまで近隣とトラブルを起こしてきた、周囲の人も明らかにおかしいと思い、避けていたというようなことだ。

 これによりまたおかしな奴の凶悪な犯罪ということがことさらクローズアップされて取り上げられるのだろう。
 それで知的障害者精神障害者への風当たりはますます強くなるのではないか。最近の人権意識の高まり(もしくは要請?)から「隔離せよ」や「もっと管理すべし」ということはさすがに声高には言われないだろうが、小さい子どもを持つ親は地域レベルでは求めるかもしれない。
 親の警戒心は高まり、子どもを一人では外に出さなくなる家庭は確実に増えるだろうし、学校に配備される警備員や地域のパトロール(ボランティアなど)も増えるだろう。

 さらには無職、アル中、地域のトラブルメーカーなども要注意とされるかもしれない。無理もない、彼らによる犯罪によるものが一体どれだけあるのか、犯罪全体の中での割合はどれだけなのか、なども提示されないまま、日々のニュースで取り上げられるのを見ているだけで感覚として「また無職の犯罪か」と思えるからだ。それは人々を漠然とした不安に駆り立てる。

 先日も知らないおじさんからもらった飴をなめた女の子が気を失った、という報道があった。昔は地域のおじさん(知った人であろうがなかろうが)から子ども達がお菓子をもらうことなど当たり前にあったことだ。それがこうした事例があれば、たとえ知人であってももらったものを食べるな、という家庭も当然出るだろう。
 街で小学生を見かけたらいつの間にかみんな警報ブザーを持っているし、保護者の携帯には不審者情報が配信されるようになっている。
 今では声をかけただけで変な人が出た、と言われかねないし、場合によっては職務質問、最悪逮捕もありえるかもしれない(たとえば手を引いたりしてことで誘拐未遂など)。

 こうしてごくまれに出てくる凶悪な犯罪者や不可思議なことをする奇妙な人の犯罪により我々の社会はますます生きにくくなってくるのである。

 犯罪者は目的を達成できたかもしれないが、彼のいない世界の我々は自分たちで自分たちの社会をルールや監視でがんじがらめにしていくのだ。

 この流れは元に戻らないかもしれない。SFみたいだが、多分ますます子どもを守るためなどと言ってすぐに通報されたりする世の中が近づいているのかもしれない。
 ここからは飛躍かもしれけど、だから田舎がいいとか言われるのかもしれない。田舎の人の優しさや誠実さに触れて感動したりするのだろう。
 戦後日本が目指した他人同士が生きる都会からの転換、小さな集落で顔見知りの人たちによる生活、それがこれからのコミュニティのヒントになるのかもしれない、と思う。まだ全然まとまっていないけれど。