大変報道への違和感

先日、Nスペで老後の厳しい現実を取り上げていた。

こういう番組は以前から興味を持って見ていた。NHKは結構世の中の情勢をドキュメンタリーで取り上げていて、2000年代中盤からの流れは、ワーキングプア規制緩和によるタクシードライバーの厳しさ、無縁社会、消えた高齢者、老人漂流社会というところで、最新はSNEP、無業社会といったところか。

こういうので見ていると、「ああ、可哀想だな」「大変そうだな」ということで見ている人も多いだろうし、他人事には思えない人、明日はわが身な人もいるだろう。

しかし、である。私はそうも思うが、しかし疑問に思うこともあるのだ。たとえば、彼らとは一体どこでどうやって知り合うのか。一人でいるところを声をかけ、一通り世間話をして状況をチェックし、合致すれば、番組の趣旨を説明して出演に取り付けるのだろうか。

また、一人ぼっちだとか引きこもり系の人を取り上げる時、いや一人ぼっちちゃうやん、とも思う。

また、番組的にはより極端な人(つまり悲惨な状況の人、ただし放送できる範囲で)がいいわけで、これが世の中のすべてだ、真実だ、と思うのは危険ではないか、と思う。

この番組で出てきた人にも思うのだが、たとえば2ヶ月で20万円の年金があり、家賃で12万円引かれるという。そうすると残り8万円で2ヶ月生活することになり、大変だ、という。しかも電気は止っているから夜は暗闇での生活だ。

大変なのは大変かもしれない。しかし本当に家賃以外で1ヶ月4万円で生活できないのか?果たして電気が止められる事態にまでなるのか?男1人暮らしで、彼は冷麦を食べて生活していた(ガスと水道はOK)が、一見してはぜいたくをしているようには見えない。でも電気代なんて月2千円程度だろう。パソコンとかはないだろうから(少なくとも映らなかった)通信費もかからないはずだし、車もないから保険も含む車両費も不要。そうするとでは一体何に使っているのか?ということになる。食費でも閉店間際なら惣菜なんかで半額のものもあるし、切り詰めれば1ヶ月1万円でも生きていけるだろう(料理をしなくてもだ)。

もちろん、健康で文化的な最低限度の生活の観点から彼にそれをしろというつもりはないが、私にはなぜ人生どん底という映され方をするのか分からない。こういう番組等で思うのは彼らの家計簿が見えてこないことによる疑問がある。プライバシーの問題もあるからかかもしれない。この番組で、ちらっと画面に映ったのがタバコだった。メシは食えなくてもタバコは吸うのか?と思えた。ま、生活保護受給者に酒は飲むな、タバコは吸うなという議論に重なるかもしれないが。しかし、それで悲惨だ悲惨だというのもどうかと思う。番組側で巧妙に編集されているのでは、という疑念もある。

10月に入り、物価上昇で食料品の値上げがニュースで報道されている。
そこでは決まって「大変だ」「給料は上がらないのに物価だけが上がっている」という街角インタビューが映される。そりゃ値上げして喜ぶ消費者はいないだろうけど、また思うのである。「じゃあ一体いくらあったら大変ではないのですか?」と。マスコミはいつもいつも大変な時代だ、と叫ぶ。じゃ大変じゃない時代ってあったんですか?人々も会うたびに「景気はどうですか?」「いや〜苦しいですわ」というのが定型句になっている。日本人の性質として「儲かってしゃーないですわ、がはは」とは言えないかもしれないが。正直私はそういうのにもううんざりしている。だからあまり真に受けないようにしようと思う。「こんにちは」「いい天気ですね」と同じようなもんだと。

人間は金がいくらあっても欲しいものだ。満たされることはない。もっと、もっとと飽くなき欲望が湧いてくる。だから他の人がうらやむような人でも「生活は苦しいですわ」「カツカツですわ」と言う。結局、その人の収入の枠内で生きているわけだからカツカツになるのだ。年収200万の人と年収1000万の人はそういう意味できっと同じだろう。200万の人が1000万になっても多分苦しいというに決まっている。

なかなか難しいけれど、世の中の流れに流されないように、自分の分を知ることで生きるときっともっと生きやすくなるだろう。