清潔観について(その2)

昨日はトイレや地べたの話をした。

さらに進めると、たとえば靴紐がほどけてそのまま歩く人がいる。かく言う私もそうなのだが、気づいたらほどけていた、ということがある。そんなとき、その紐が汚いな、と思ってしまう。だから紐を結んだら手を洗わずにはいられない。だって道路って見えなくなっていても犬の糞尿だってあると思っちゃうし。

料理をしているときにあちこち触るのはどうでしょう?もちろんそのときに扱っていたものにもよるけど、油とか肉とか魚を触った手でたとえばドアノブとかリモコンとか触るのってどうよ。私の体験では家人がお好み焼きを作る時に豚肉を触った手を布巾などで拭くこともなくリモコンでチャンネルを替えるのを見て、嫌だというかもはや怒りをおぼえる。そんなとき、たとえ家族であっても清潔観って違うんだなと思う。

地べたの延長で玄関も同様だと思う。人が訪ねてきたときに家人が玄関のドアを開けようと、ふっと足をついて、ドアに手を伸ばす。「それ汚いじゃないか!!」と叫びそうになる。外出先とかでも靴を脱ぐとき、はくときに地面に足をつく人がいますが、理解に苦しみます。何とも思わないんでしょうか。

図書館で借りた本でたまにめくることによって指が当たる部分が黒く変色していることがある。一体どうやったらそんなことになるのだろうと不思議に思う。高校生のとき、参考書がそんな感じになっていたら「おお勉強しているな」と思うし、また人がそんなのを持っていたらちょっとびびってしまう。しかし、図書館の本がそんなにヘビーに扱われるのだろうか。そうするとよっぽど指が汚いとしか思えないのだけど。

ま、突き詰めていうと、生きていく限りこうしたことは避けられないのかもしれない。自分だけが清潔に保つよう心がけていても、人がやることに制限はかけられないから、汚い人が知らずに撒き散らすことにはもはや避けようがない。電車で靴のまま乗っている小さい子をたまにみかけるが、それを知らずに座ってしまうこともあるのだ。そして今度は自分がそれを広げていってしまう。だから精神衛生上、あまり気にしすぎるのもよくないのかもしれない。究極的には人間が一番汚いのかもしれない。微生物まみれだし、死ねばあっという間に蛆虫が湧き上がって来るし。
さらにより根源的に言うと一体何が“きれい”で何が“汚い”のだろうか。汚いといっても、排泄物はいつかは分解されてしまう。発掘現場で古代のトイレの跡とかで古代人が何を食べていたのか、どんな病気を抱えていたのかを分析したりするのを読んだことがあるが、不思議と汚いとは思えない。
ポテトチップとか食べた後の手でキーボードを触ったりするのは個人的には絶対嫌だが、それも本当に“汚い”のだろうか。人が口にする、食べるものなのにそれが付着した指を汚いと言ってしまっていいのだろうか。
血は汚いのだろうか。フケは汚いのだろうか。このように考えていくと、実はそんなに思い悩むことではないのかもしれない。でもやっぱり嫌だな。